はじめまして。
私の夢は息子をプロ野球選手にすることでした。
結果、プロ野球選手にはなれませんでしたが、大学野球で4年間活躍し、22才まで親子で夢を見ることができました。
その経験を紹介することにより、これから同じように親子で夢を見る方へのご参考になればと思います。
大切な息子さんとの夢が叶いますように!
目次
自分の野球経験について
- 友達に誘われて、少年野球を小学6年生から始める。
- 中学野球では足がまあまあ速かったため、センターで6番、7番の打順。
- 普通の弱小県立高校にて、野球を継続する。まじめで負けず嫌いであったこともあり、主将をつとめる。
- 夏の大会では3回戦進出が精一杯でした。
- 以降、会社などの草野球にて投手をすることにより、あらたな野球の楽しさを発見。
こんな程度の普通以下の野球経験でしたが、大人になって野球を楽しんでいるところに、息子を授かりました。
長男の野球経験について
幼少期
- 自身の経験から、幼少期から親と野球をやっている子が上手なことを認識していたため、1歳になるまでにボールをもたせ、常に野球を意識させる。
- 生まれつき体が4,000g近くあり、恵まれていたこともあり、野球以外の習い事もできるほうであった。
少年野球
- 少年野球は当然のごとく、小学1年生からはじめ3年生の時にはレギュラー格となる。
- 5年生でまわりとの温度差があり、チームを変わることとなる。
- なかなか濃いいチームであったが、まあまあ強く充実した少年野球を過ごすことができた。
中学野球
- 中学野球は、地元の強豪硬式チームに入団する。
- 3番ショートとして頑張るもなかなか勝てない。
高校野球
- 強豪私学へ進む自信が無く、公立高校の強豪高校へ進学する。
- 県内で注目され、甲子園への道もあと一歩のところで敗退する。
- 高校野球の専門誌にも中のほうのページであるが、一面に特集してもらったことがある。
大学野球
- 野球推薦でお誘いをうけた地元の大学へ進学する。
- 1回生の春リーグからレギュラーをつかみ活躍する。
- 万年下位チームであったが、2回生の時とうとう2部リーグへ降格する。
- 3回生で主将に任命される。
- 4回生の春リーグ時に1部リーグに返り咲き、ベストナインに選ばれる。
卒業後
- 社会人野球の話もあったが、条件のいいところはなかなかないためあきらめ、ついにプロ野球選手への夢も終わる。。泣、泣。
- 現在は、会社の軟式チームで野球をつづけている。
次男の野球経験について
幼少期
- 兄とくらべて体は小さかったが、野球環境ができあがっていたため、早くからボールに慣れ親しんでいた。
- どちらかといえば、長男の野球の練習のアシストやボール拾い扱いだったかもしれません。(笑)
少年野球
- 兄と同様のチームに幼稚園児のときにはじめる。
- 兄がチームを変わったこともあり、同様にチームを変更する。
- メンバーにも恵まれ、県大会も複数回優勝するなど、超強豪のチームであった。
- 自身もなかなか打力がよく、兄よりかなり打っていた。
中学野球
- 兄と同様の強豪硬式チームに入団する。
- しかし、なかなか身長がのびず、出場機会にもめぐまれないこともあり、チームをかわることとなる。
- 新しいチームでは、チーム自体は強くなかったが、出場機会にもめぐまれ、投手、野手とさまざまな経験をさせてもらう。
高校野球
- 兄と同じ高校を受験するも失敗し、地元の高校に進学する。
- 強豪校ではないが、監督は非常に熱心であり、他府県の強豪校練習試合を重ねるなどいい経験をさせてもらう。
- 3番打者として、たくさんのヒットをみせてもらいました。
- チームとしては残念ながら最後の大会も初戦敗退。。泣 泣
大学野球
- 兄と同じ大学を受験し、奇跡的に合格する。
- 出場機会を与えてもらうも、なかなか結果がでない。
- 公式リーグ戦にて、スリーベースヒットを最後に見せてもらいました。
- 最終、デッドボールによる負傷で幕を閉じる。
現在
- 就職活動にむけて猛勉強中です!応援しています。
プロフィールの最後に
こうやって振り返ってみて、本当に息子たちには感謝しています。
幼少期の話、少年野球のチームを変わったこと、中学野球で体格差のある子との対戦、高校受験、大学野球のレベル。
少しでもこれからの方にお役にたてるような記事を書いていきたいと思います。
よろしくお願いします!